パノラマ画像

やっぱりパノラマ画像はいいなー
http://www.jpartmuseum.com/jam_live/gallery_m33/

GALLERY M CONTEMPORARY ART
設楽 陸 展 Riku Shitara
May 8 (Sun) - June 12 (Sun) , 2011 (Closed on Monday,Tuesday)
11 : 00 am - 7:00 pm


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GALLERY M CONTEMPORARY ART
〒 470-0131 愛知県日進市岩崎町根裏24-2
TEL:0561-74-1705 FAX:0561-74-1603
http://gallery-m.cool.ne.jp/ 



『天翔る龍の閃き』の制作過程

今回はじめての試みで、5メートルもの大作でありメインの作品『天翔る龍の閃き』の制作過程をブログに掲載することにしました。『天翔る龍の閃き』は異次元・天国・地獄・神話というテーマで制作しています。4つのメインのテーマの関係が対立しすぎないよう、一元化されすぎないよう、洗練されたデタラメ感・デジャブ感を目指しました。


段階1
分割して制作していた三枚を一枚ずつ撮影してフォトショップでつなげてプリントアウト、途中経過を見る。全体像の写真にドローイングなどをして絵全体のイメージを広げていく。最初の仕事は絵の舞台装置を作る感じ。画面全体を支配する異次元空間みたいな模様は今回の作品の骨格で、薄く描いてある千手観音菩薩は今回の作品の中でメインの図像。


段階2
様々なイメージを投入、投入しては消しの繰り返し。龍の体のうねり方や色を変えたり、千手観音菩薩に武器を装備させたり、文字を入れたり、位置をずらしたり、強い色を空白部分に入れたり、全体のバランスも考慮して制作。
絵を見て出てきた言葉を簡潔にメモ。特に言葉の選定の基準はなし。まだ絵に全然物足りなさを感じてたけど、どうすればいいのか分からず追い込まれて整理しにかかったんだと思います。赤いうねうねした線は多分構図とか視線誘導とかを考え直してたんじゃないかな。


段階3
3の段階に来るまでたくさんドローイングしてみたり、情報収集したりしてたけど、悩んだあげくただひたすら直感を信じて描き込むことを決心。


しかし、なんか納得出来ず、またグズグズしはじめる。設計し直そうとして足掻くも解決策は特に出せず.....下のメモ書き....赤の手を入れるとかそういう問題じゃないだろ.....
この段階に来ると飾り付け作業が多くなってきてる感じ、そんなばっかでいいのか!もっと重要なことをしなきゃいけないんじゃないのか!とかいろいろ悩んでます。

(パソコンでいろいろ描き加えてる)



後一歩足らないんじゃないかと悩み、またドローイングしたり、絵を何時間も見続けブルーになったりしながらも何とか描き終え完成!と思っても、不安は残り、その後も絵を見続けたり、ちょこっと描き加えたり.....
展示した時に完成という事で!

完成

















個展 初日を終えて


ギャラリーM 正面玄関

ケロスケ

入ってすぐの部屋

メインルーム

今回、一番大きい絵

オープニングパーティーの様子を写真に撮り忘れていた(それどころじゃなかった...)ので絵で表現しました。

お忙しい中、来てくださったて本当にありがとうございました。

やっぱり、初日はトークまで落ち着かなかったし、不安だったけどいろいろ終わって、乾杯の音頭をとって酒を飲んだら一気に解放されました〜
たくさんの人がオープニングに来てくれてうれしかった。でもなかなか一人一人とちゃんと話せないから申し訳ないです。自分はすぐ顔が赤くなってフワ〜としてるし。

展示はうまくいってると思う。ギャラリーMの社長、ゆかりさん、鈴村さんありがとうございます。僕は特に何もしてないけど...展示作業が終わってから社長に「これ全部自分が描いたんですよね?」て変な質問をしてしまった。自分の一個一個の絵のルーツ(核心)は分かるんだけど、完成までの間の過程を全然覚えてないんです。だからどうやって描いたのか、どうして完成がこうなったのか分からない。そもそも完成してるのか....その答えを探すにはまた絵を描けばいい!
絵一枚を描く時の最終段階で重要なのはいろいろ考え、もがき、悩み、試し、無数の心理戦を突破・打破して、ただいい絵に仕上げようとする最上級の精神状態になる事が大切だと思う。僕だってこれはあまりウケないかもしれないなとか、売れてほしいなとか考えます。でも、そういったものに悩まされ、辛くなって徐々にそういうものを憎むようになる。そんなことじゃないだろ!て。

世間を見回して見てもそう、いろいろ疑問や怒りが沸いて来るけど、絵を描いているときはそういったことも忘れてホーリーランド(聖域)に帰れる。
昔、読んでたマンガでホリーランドという不良少年のマンガがあった。よくあるエンターテイメント系の喧嘩漫画じゃなくて、主人公や不良少年達がただひたすら自分の強さと本性を知りたくて将来や学校、家庭を捨てて最後の場所、街というホーリーランドで暴力と闇を探求しつづける。しかし、だだ辛く過酷な環境だからこそ彼等は本当の仲間や自分、目的、真実を知り得る。そこには幸福も安定した人生設計も保証もない。外の人から見たら理解出来ない世界。でも理解できる世界ってどんな世界なんだろう。はたしてあるんだろうか。人類の頭脳を集結させても世の核、時間のシステムすら解明できてないのに、人一人が世界を理解出来る訳がない。ホーリーランドは底なし沼。

自分のホーリーランドを守るためには自分を犠牲にしなきゃいけないんだろうな。


搬入

ギャラリーM 搬入当日

次々と作品で埋まってく。

看板娘の牧ゆかりさんの登場です!

みんなで思案中

やっぱりMは広いやー


搬入の日が展覧会の中で一番楽しい時かもしれない。少しずつ空間が作られて行く過程に興奮を覚える。そして空間が完成すると会場は静寂に包まれ、今までの興奮は断ち切られ神聖な気持ちになる。明日は個展初日でオープニング、初日は苦手だなー



ゼロ(2000年代)を超えて


小学校4・5年生の時、NHKの『映像の世紀』という番組を見た。宮崎駿の『天空の城ラピュタ』と『風の谷のナウシカ』に並ぶほど何十回も見た作品。宮崎駿のこの二作品は冒険心溢れるファンタジーだけど。映像の世紀は人間がビデオカメラで記憶し始めた時代から現代までの世界の歴史と人間と文明社会の本質を追った極めてシリアスなドキュメンタリー作品です。

僕は人類史を見る時、単純に善と悪とに分けるような二元論は無意味だと思っています。僕が絵画を描く時や架空の世界史ノートを書く時、そういった二元論に陥らないように注意しています。だって私生活でも人と付き合う時、相手の良いところと悪いところもバランスよく受け入れないと交流の幅と外の世界に対する見解が極端に小さく弱いものになってしまうからです。それはとても残念でもったいない事だと思う。記事にも書いたホリエモン収監もこの世から必要以上に毒を取り除こうとする社会全体の空気に対して気持ち悪さを感じるからです。ホリエモンは面白い、いい毒だったと思って見ていました。毒を必要以上に嫌う人々は、毒のつまり善と悪のヒストリーと人間の本質、思考のメカニズムを知らないためアレルギー反応を示してるだけなのです。欧米や中国がダイナミックでエネルギッシュに見えるのは毒をある程度社会が許容する準備ができているからです。もし少しの毒も認めない社会がこのまま続くようなら毒に対して無知で免疫ができてない故に猛毒が発生した時、社会は大きく混乱するでしょう。今の日本がそうではないでしょうか、上はごまかしていますが.....

これからの日本が安泰だとは到底思えません。だから、この世に蔓延る極端な二元論を断ち切って、人、物事、歴史は常に両極端なプラスとマイナスの両方向へ振れ続けるものだと理解した方が物事を冷静に分析して見れると思います。

虚構が安易に受けいられた時代は終わりました。
僕は今だから言っている訳ではありません。絵を描き始める前からずっと今まで抱えてきた疑問や怒り、コンフリクトを超えて、これからも真を探求していきたいだけなのです。

人が輝くために


リヴァイアサンの時代












BBQ


昨日は知り合いのアトリエでバーベキューをして、写真をいっぱい撮ったのにメモリーカードが入ってなかったというB級の天然ボケを炸裂させてしまった。十何人かくらい人が来てて後半からカオス状態になってた。後輩は脱がされるは、木の茂みで吐いて倒れるは、僕は気付かなかったけど救急車も来てたらしい。でもそういうのが楽しいのだ!このバーベキューで県芸エリート集団と県大エリート集団のコラボレーションを二回も成功させた高田くんと前畑くんと長瀬くんの人力はすごいよー

こういう、いろいろな人達との交流は大切だよね。僕らみたいなのはよく籠りがちだけど。引きこもりになってはダメなんだ。仙人みたいに籠ってず〜とコツコツはあんまり好きなやり方じゃない。刺激や知識、人脈、同志、見解を得るためには外に出ないとね。

夜通し続いたバーベキュー、でも僕は深夜4時にはアトリエに戻りました。途中でぬけた方が宴の後の寂しい気持ちにならないから。個展前なので気持ちを維持しないと。
アトリエに戻ってからユーチューブでMacの創設者スティーブ・ジョブスのスピーチを見ました。なんか突然聞きたくなって。よくわからないけど。



そういえば茂木健一郎さんがツイッターで目的について名物の連続ツイートしてました。

目的(1)人生の問題の一つは、実はゴールがはっきりしていないということだ。大抵の局面において、はっきりとした目的が定まっているわけではない。定まっていたとしても、それは遠かったり、余りにも大きかったりする。

目的(2)ゴールが達成されると、脳内で報酬系が活動し、強化学習が起こる。大切なメカニズムだが、一方で、それほど小刻みに、明確にゴールが定められているケースは少ない。むしろ、ゴールがない状況でどのように学習が進むかが問題である。

目的(3)明確なゴールがないケースが多いからこそ、行為のプロセスそのものが報酬となる「フロー」(チクセントミハイ)が大切になる。ある目標が達成されるから嬉しいのではない。むしろ、目標が明確ではないとしても、その行為に没入する時間そのものが報酬なのである。

目的(4)コンピュータ・ゲームはやっていて楽しいし、私も最近はアングリーバードをトイレに座ってやっている。しかし、ゲームには固有の脆弱性がある。すなわち、目的がはっきりと定められていることだ。

目的(5)ゲームは、あくまでも作られた小世界。実際の生活現場においては、目的は定まらないことも多いし、文脈も単一ではない。無意味だと思われたことが、後になった意味を持ち始めることも多い。

目的(6)ニーチェの舞踏(Tanzen)の概念が生命哲学としてすぐれているのは、それが、目的論から自由であることだ。舞踏においては、目的は自明のことではない。それは、行為する時間そのものに喜びを感じる「フロー」の理論付けであり、フローを哲学的深淵へと接続する。

目的(7)目的意識がはっきりとしすぎている人、あるいは、人生というものは目的があってそれに向かうことだと考える人と話していて息苦しさを感じるのは、感情的反応というだけでなく、そもそも生きるということはそんなことではないという認識の問題なのだろう。

目的(8)世の中には、目的と手段、効用をはっきりとうたったビジネス書がたくさんある。市場としては大きいのだろうが、生命哲学上の真理からは遠い。目的はミネルヴァのふくろうのように後から飛び立つのであって、まずは行為そのものに喜びを見いだすことこそ学ぶべきである。

目的(9)行為する時間そのものに没入し、無償にこそ報いを見いだすこと。「目的」から自由になること。「フロー」の喜び。舞踏の実践。そのような内的感覚をつかんでいる人が、もっとも強靱であり、結果としてリヴァイアサンたり得る。