BBQ


昨日は知り合いのアトリエでバーベキューをして、写真をいっぱい撮ったのにメモリーカードが入ってなかったというB級の天然ボケを炸裂させてしまった。十何人かくらい人が来てて後半からカオス状態になってた。後輩は脱がされるは、木の茂みで吐いて倒れるは、僕は気付かなかったけど救急車も来てたらしい。でもそういうのが楽しいのだ!このバーベキューで県芸エリート集団と県大エリート集団のコラボレーションを二回も成功させた高田くんと前畑くんと長瀬くんの人力はすごいよー

こういう、いろいろな人達との交流は大切だよね。僕らみたいなのはよく籠りがちだけど。引きこもりになってはダメなんだ。仙人みたいに籠ってず〜とコツコツはあんまり好きなやり方じゃない。刺激や知識、人脈、同志、見解を得るためには外に出ないとね。

夜通し続いたバーベキュー、でも僕は深夜4時にはアトリエに戻りました。途中でぬけた方が宴の後の寂しい気持ちにならないから。個展前なので気持ちを維持しないと。
アトリエに戻ってからユーチューブでMacの創設者スティーブ・ジョブスのスピーチを見ました。なんか突然聞きたくなって。よくわからないけど。



そういえば茂木健一郎さんがツイッターで目的について名物の連続ツイートしてました。

目的(1)人生の問題の一つは、実はゴールがはっきりしていないということだ。大抵の局面において、はっきりとした目的が定まっているわけではない。定まっていたとしても、それは遠かったり、余りにも大きかったりする。

目的(2)ゴールが達成されると、脳内で報酬系が活動し、強化学習が起こる。大切なメカニズムだが、一方で、それほど小刻みに、明確にゴールが定められているケースは少ない。むしろ、ゴールがない状況でどのように学習が進むかが問題である。

目的(3)明確なゴールがないケースが多いからこそ、行為のプロセスそのものが報酬となる「フロー」(チクセントミハイ)が大切になる。ある目標が達成されるから嬉しいのではない。むしろ、目標が明確ではないとしても、その行為に没入する時間そのものが報酬なのである。

目的(4)コンピュータ・ゲームはやっていて楽しいし、私も最近はアングリーバードをトイレに座ってやっている。しかし、ゲームには固有の脆弱性がある。すなわち、目的がはっきりと定められていることだ。

目的(5)ゲームは、あくまでも作られた小世界。実際の生活現場においては、目的は定まらないことも多いし、文脈も単一ではない。無意味だと思われたことが、後になった意味を持ち始めることも多い。

目的(6)ニーチェの舞踏(Tanzen)の概念が生命哲学としてすぐれているのは、それが、目的論から自由であることだ。舞踏においては、目的は自明のことではない。それは、行為する時間そのものに喜びを感じる「フロー」の理論付けであり、フローを哲学的深淵へと接続する。

目的(7)目的意識がはっきりとしすぎている人、あるいは、人生というものは目的があってそれに向かうことだと考える人と話していて息苦しさを感じるのは、感情的反応というだけでなく、そもそも生きるということはそんなことではないという認識の問題なのだろう。

目的(8)世の中には、目的と手段、効用をはっきりとうたったビジネス書がたくさんある。市場としては大きいのだろうが、生命哲学上の真理からは遠い。目的はミネルヴァのふくろうのように後から飛び立つのであって、まずは行為そのものに喜びを見いだすことこそ学ぶべきである。

目的(9)行為する時間そのものに没入し、無償にこそ報いを見いだすこと。「目的」から自由になること。「フロー」の喜び。舞踏の実践。そのような内的感覚をつかんでいる人が、もっとも強靱であり、結果としてリヴァイアサンたり得る。