庶民


架空国家『幕庭政府』の架空都市『江京』の庶民生活!




湯屋





カフェ天竺



カフェ天竺は去年、名古屋テレビ塔空中美術館で自分たちが作った陶器のカップをお客さんに使ってもらってコーヒーや中国茶、ビールを楽しく飲んでもらおうと芸際のノリでグループで模擬店を出店したのですが。ドクロや心臓、爆弾のカップとカフェ天竺のために描いた架空の天竺物語ノート、店の異様な演出とデザインが好評で2014年の今年も何回かいろいろな場所でやらせていただくことになりました!




そしてその第二弾は3月1日夕方から名古屋新栄カフェパルルで一日だけですがその日は朝まで営業!




































最近、裏山を散歩する事が多くなり、その影響か絵の中に森が出て来ました。森に行くと六感シックスセンスが解放されるような気がして。







これは森とは全然関係ないけど、描き始めたら止まらず一気に一時間ちょっとで仕上げた絵。



大雪の中、森に入って置いて来た骸骨の陶器。



去年の架空の歴史ノートのことや今までのことを振り返って

 2013年を振り返ると本当にいろいろあったと思う。架空の歴史ノートをアマゾンキンドルでこっそり配信をはじめて1ヶ月後にはいろいろなメディアから取材が来るとは夢にも思いませんでした。配信を開始してから自分の架空の歴史ノートの動向はまったく感知していなかったので、一番最初に来た取材が朝日新聞の記者さんで取材したいとツイッターから連絡があった時は何か怪しい人なんじゃないかと疑ってしまいました(笑)。でも「ぼく住んでいるの名古屋ですよ。」と言ったら「行きますよ。」とわざわざ東京から名古屋まで来てくださったて本気なんだと...思ったので名古屋駅で待ち合わせ自分のアトリエで取材を受け始めて架空の歴史ノートが話題になっていると聞きました。後で気付いたのですがその記者さんは僕が数ヶ月前に電子書籍の配信プラットフォームを渡り歩き配信を試してみても全然ダウンロードされず、こんなこともうやめようかな...自分は画家だし、訳わかんない事やってないで絵を描け!、あれは紙でやるべきだろ!とか言われるし...と思ってた時に偶然ネットで読んだ記事にキンドルの自己出版SF小説『Gene Mapper』で華々しくデビューした子書籍界のスター藤井大洋さんの記事を読んで僕も最後のフロンティアアマゾンでやってみるぞ!これでだめならやめる!と決意した時の記事を書いたのがその記者さんでした。

 その記事を読んだ数ヶ月後に次は僕が取材を受ける事となったわけです。さらにその2ヶ月後その記者さんに誘われて裏東京国際ブックフェアのシンポジウムに参加し藤井大洋さんと登壇してトークするとは...遊びにおいでと言われて行っただけのつもりだったのですが、騙されたー!。そのシンポジウムがあった前の日がフジテレビのアウトデラックスの番組収録で、僕の架空の歴史ノートの一巻から配信してくれている会社レベルライフの社長さんとスタッフの方がスタジオまできて案内してくれてとても心強かったです。その会社の方がノートをうまく宣伝してくれて他の取材の話や番組出演の話をうまくまとめてくれたので本当に感謝しています、今も。僕個人はマネジメント能力はゼロですし、人脈などないし。アマゾンのマーケティングや税金の事などチンプンカンプン、シンポジウムのトークで君は藤井大洋さんとは真逆のタイプだねと言われ本当にそうだと思いました。藤井さんはイケメンですし頭もいい、僕はへんな中二病がノートに架空の歴史をつくり続ける痛いヤツ。利益など考えずただがむしゃらにやっているだけ。でも君はそれでいいと言ってくれてその一言は救いでした。

 自分の作品に100パーセント完璧な自信を持っている人はいないと思うのです。持っていたとしてもそれは振りかキャラでしょう。僕の作品に対する自信は常に5パーセント、何かを取り戻すかのように作品を創作するのが僕のベースなのでプラスにパーセンテージが働くというより、マイナスにパーセンテージを掘り下げていくのが僕の方法。だから90パーセントの自信を持てたとしても+ーでだいたい5パーセントなのです。ネガティブですが自分と正直に向き合うとそうなるのです。それは高校の時ぐらいから周りに溶け込めず孤独に流され、美大に入ったのも別に創作したい訳でもなく、普通の勉強が嫌だったし楽そうな美大で高校の時の孤独と空白を埋めるべく友達や彼女を作って、それなりに楽しく過ごして卒業後は就職して結婚でもして、みたいな...しかし!そもそも周りに溶け込めず友達も出来ない勝手に孤独を感じて何も行動しないやつが彼女とか作れる訳ないし、しだいに居場所も無くなり学校にもほとんど行かず本を読んだり映画を見に行ったりして妄想やボーとする毎日が続きました。さみしいから名古屋の人ごみの多い所に用もなく行ってただ座ってたりほぼ危ないやつでした。でもさすがに今のゴミみたいな状況を何とかしなきゃいけないと思って何をしようと思った時に「そうか美大はアートをやる場所だからアートをやればいいんだ!」と美大にいるのに三年目でやっと気付いたのです。そこからいろいろやりました映像撮ったりアニメ作ったり立体作品にインスタレーションしかし、どれもしっくり来るものがなく、最後の最後で絵を描くことを選びました。なぜ最後の最後になったかというと父親が有名な画家という事もあって、画家の息子なのに絵画にずっと理解を示さなかったというのもあるし、ただの反抗心だったのかもしれないけど、くだらないと思ってたから絵を描き始めたら負けた感じになってしまうのが嫌だったのでしょう。「親の七光り」と言われそうだし、実際卒業してから活動をはじめたらたくさん言われました(笑)話を戻すとつまりたくさんの美大生がゼロつまり学びたいと思うところから技術を学び+にしていくのとは違い、どうしようもない自分だけど救われたいという自分勝手なマイナスの要素から制作の意識がスタートしているのでそれはもうむちゃくちゃでした。もう技術も絵を描く心構えもないんだったら素をさらけ出してヤッたれと!目立て!壊せ!そこから今も絵のスタイルも架空の歴史ノートも生まれたのです。

 素を曝け出す。歩んで来た道をただ振り返っても大抵何もありません、実際来た道を戻ってみないと、大抵嫌な事辛い事ばかりで発見など出来ません、抽象的な言い方だけど、それでも粘り強く自分の今までの人生を掘り返す作業をしなくてはなりません、掘り下げた先に行き着いた場所は小学生の時代。喘息やアトピーに苦しみ続け針治療などで徐々に回復して外で友達と活発に遊べるようになりだした頃の事。先ほども言ったように父親が画家で美大の先生をやっていたという事もあり愛知県立芸術大学の敷地内に当時住んでいました。敷地内というか先生たちの館舎(アパート)が密集している謎の集落があり密かに芸大村とよばれる所で僕は生まれました。今はもう存在しませんが、そこは田舎のさらに奥の山々や森に囲まれた所にあり陸の孤島と言われてました。今思うとそもそもこんなところで生まれたらあまりまともに育たない気もするけど。頻繁に飲み会やバーベキューがあちらこちらで開かれてい酔いつぶれた学生が森の茂みに倒れてるはさらにはその奥でカップルがイチャついてるは芸術祭の時には裸で大人たちが走っているは。しかしそんなのが楽しくて同じ芸大村の友達と秘密基地を作ったり森を冒険したり、大学に侵入して大人のお姉さん達と遊んだり、当時禁止されていたTVゲームのゲームの設定やステージをノートに描いて一人プレイしたり、ノートにイラストや漫画を描いて交換したり、小学校では芸大村の奴らは変態ばかりだと思われて勘違いされていたけど、イラストノートや漫画ノートの登場で友達の輪がひろがったり「次号はまだかと」なったものです。架空の歴史ノートはこの時も描いていたけどコアすぎて見せていませんでしたが既に人類帝国うんぬんの歴史は描いていました。これが僕の黄金時代。友達もいっぱいいたし、あきこちゃんという彼女もいたし。でも初キスはニュージーランドという島国のキャンプ場で仲良くなったキュートな白人の女の子でした。

 話を戻すと、この時の絵やノートと今の絵とノートを見比べてもそんなに変わらないのです、やはり自分の創造の核はこの頃に形成され今でも生きてるんだと。この頃なくして今の絵は生まれないだろうし架空の歴史ノートも当然に。僕はあの頃のままでいい、バカなままでいいと制作の壁にぶち当たった時は自分に言い聞かせます。

 正直に作品を作れば共感してくれる人も現れます。絵も架空の歴史ノートもある名古屋市美術館の学芸員さんがおもしろがってくれてポジション2012という大きなグループ展に出さないと言われた時はめちゃくちゃうれしかったです。僕なんかが美術館で展示することなんてないだろうとずっと思っていたので。その時に学芸員さんが架空の歴史ノートのコピー本を作ってお客さんが自由に見れるようにしようと言ってくれてお手伝いのスタッフもつけてもらい、制作費まで出してくれて、朝から晩までノートをスキャン、編集、印刷で短期間で本を完成させる事が出来ました。帰っては展示用の絵を描き大変な毎日でしたがこれが無かった自分でノートをスキャンなんて大変でしなかっただろうし、僕の展示場所が人で溢れるなんてなかった。そのスキャンデータが元になって(今はいろいろ加工編集されてるけど)今キンドルで配信してる訳だし、続けてよかったなと本当に思います。

 でも、僕はまだまだノートの続きを描きたい絵も描きたい。まだまだ作家とし食えてるわけでは全然ない、食えるかどうかも不明、だけど頑張らなきゃと思う。これしか無いんだ、他に何も無いんだ、おもしろいもの作りたいんだ!思ってやっている、食える事が最重要ではないけれど....でも......そういった矛盾は言葉では説明できない、複雑でドロドロしたものに創造の自由を奪われる、創造の可能性を萎ませる....そいうときにやっぱ自分の黄金時代(ゴールデンエイジ)の事を考え想う。

ただ作り、学んで、遊べ!



散歩


絵って詰め将棋みたいだなと思う時がある。最初はマス目の上で自由に駒を動かせてどんな風に攻めようとか考える余裕があるんだけど、ゲームが進むにつれ駒も制限されていくしギャンブル要素も高くなる。一手が重要になっていくから進みも遅い。自分をも欺く一手を何回も打たないとゲームが終われない。そこがおもしろい要素だけど難しい...





最近、アトリエの裏山の森を散歩しています。こういう絵とヤバい架空の歴史をずっとアトリエで創作していると何んだか頭がやられてしまいそうなので。

子供のときよく友達や一人で森の中を冒険ごっこして遊んでいた事を思い出します。いい遊びでした、野生の本能が磨かれますあれは。森に一人でいるのに独りじゃない感じがします。もともと人の居た場所だからだろうか。

なんで人は森を出てしまったのだろう。